
関東大震災で被災/死亡した芸能人/有名人27選!衝撃ランキング【2025最新版】
1923年9月1日に発生した関東大震災は、死者・行方不明者10万人以上という大きな被害をもたらした大災害でした。今回はそんな関東大震災で被災・死亡した芸能人/有名人を衝撃順にランキング形式で紹介します。
関東大震災とは
関東大震災で被災・死亡した有名人の衝撃ランキングTOP27-21
27位:古谷駒平
26位:木村担乎(教育者)
25位:吾妻勝剛(産婦人科医)
24位:鈴木福松(政治家)

プロフィール
生年月日:1855年(安政2年12月)
出身地:相模国三浦郡上山口村(葉山村を経て葉山町)
死没日:1923年(大正12年)9月1日
鈴木福松は、明治後期から大正時代の政治家で、神奈川県横須賀市長を経験しています。
横須賀元町外4箇町消防小頭、同頭取、横須賀旭町戸長、横須賀元町戸長、逸見村会議員を経て、1888年(明治21年)町村制施行に伴い横須賀町会議員に就任。1896年(明治29年)神奈川県会議員となり、1903年(明治36年)8月、横須賀町長に選任される。1907年(明治40年)の市制を経て、横須賀市第2代市長に就任し、市営貸家の建設、道路改修、市営屠獣場の新設などに尽力しました。
23位:長谷川豊吉(実業家)

プロフィール
生年月日:1852年3月12日(嘉永5年2月22日)
出身地:相模国足柄下郡曽我谷津村(現:神奈川県小田原市)
死没日:1923年(大正12年)9月1日
長谷川豊吉は、幕末の名主、明治から大正期の政治家、実業家、衆議院議員です。1902年8月、第7回衆議院議員総選挙において神奈川県郡部区で立憲政友会から出馬し当選。その後、第9回、第10回総選挙でも当選。1909年、日本製糖汚職事件で拘禁され、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固10ヶ月の有罪の判決が言い渡され、衆議院議員を退職。その後、判決を不服として控訴、上告を行ったが、同年12月17日に大審院で判決が言い渡され、上告棄却となり、有罪が確定しました。
発生年月日:1923年(大正12年)9月1日
午前11時58分
地震規模:マグニチュード7.9
直接死・行方不明:約10万5千人(うち焼死が約9割)
全壊・全焼住家:約29万棟
経済被害:約55億円
当時のGDP:約149億円
GDP比:約37%
当時の国家予算:約14億円