
歴代クーデター21選・世界と日本別!衝撃順にランキング【2025最新版】
クーデターは、一般に暴力的な手段の行使によって引き起こされる政変を言い、ニュースなどでも時折耳にすることがあるかと思います。今回は、歴代クーデターを世界・日本別で衝撃順にランキング形式で紹介します。
クーデターとは
世界の歴代クーデター衝撃ランキングTOP16-11
16位:5・16軍事クーデター

韓国政治史の長い軍事政権の土台を築き上げる
クーデター直後、宿舎としていた半島ホテルから脱出し、修道院に身を隠していた張勉首相は5月18日昼に姿を現して臨時閣議を開催、軍事革命委員会への政権移譲を決議。また尹潽善大統領も非常戒厳令を追認し、軍事革命に対する国民の支持と協力を求める声明を発表しました。こうして第二共和国は形式的にも実質的にも崩壊し、軍政が敷かれることになりました。軍事革命委員会発足から三日目の5月19日、名称を国家再建最高会議に改称、治安向上や経済改善などを名目に韓国民の思想・言論を弾圧。6月10日には秘密諜報機関・韓国中央情報部(KCIA)が発足されました。このような朴の政治はその後の韓国政治史の長い軍事政権の土台を築き上げる事となります。
15位:2014のタイ軍事クーデター

全土に戒厳を発令したと声明、デモ活動を禁じた
2014年5月20日午前3時、タイ王国陸軍が政治的混乱の収拾、平和と秩序の維持を名目として全土に戒厳を発令したと声明。デモ活動を禁じました。プラユット・チャンオチャ陸軍総司令官はテレビ演説を行い、軍が治安維持にあたることを表明し全ての政治勢力に対して対話を促した。同時に「これはクーデターではない」としました。暫定政府は戒厳令発令について知らされていませんでした。続いて陸軍は報道の検閲を布告し、政府支持・反政府支持派双方の衛星テレビ局10局の放送を停止。翌5月21日にプラユット総司令官による各政治勢力による協議が行われ、陸軍は暫定政権の樹立や6ヶ月から9ヶ月の間に改めて総選挙を行うことなどを提案し、翌日22日も含めて2回の会合が行われたものの結論は出ず、午後4時10分になってプラユット総司令官は協議を中断。なお、会議の出席者はそのまま陸軍に連行されました。
14位:2021年ミャンマー・クーデター
13位:1991-1992年ジョージア・クーデター
12位:マリ軍事クーデター

概要
2012年マリ軍事クーデターは、2012年3月21日、マリ共和国の首都バマコにて発生した軍によるクーデターです。マリ共和国では1960年の独立以降、遊牧民トゥアレグ族による反政府闘争が続いてきた。トゥアレグ族は2011年リビア内戦に参加したことにより戦闘経験を積んだほか、高性能の武器をマリに持ち帰ることにより軍事力を強化した。反政府組織・アザワド解放民族運動(英語版) (MNLA)のもと組織化されたトゥアレグ族は2012年1月中旬より新たに独立を求め蜂起し、政府軍との紛争(トゥアレグ反乱 (2012年))が勃発したが、軍内部からは武器や資材が不足しているといった不満が生じ、また多くの政府軍兵士が死亡もしくはトゥアレグ族勢力に拘束されていると思われたことから、政府の対応に不満が溜まっていきました。
クーデターは、一般に暴力的な手段の行使によって引き起こされる政変を意味します。歴史的には、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの発展途上国においてはしばしば政治変動はクーデターによってもたらされている。政治的な暴力としてはクーデターだけではなく革命(revolution)や反乱(rebellion)などの概念もあるが、クーデターの概念はその暴力行為の政治的な意図によって区別されています。革命はイデオロギーの抜本的な改革を行い、政治権力や社会制度などの体制そのものの変革を目的とする。反乱は政治的な暴力の行使であり、より保守的な政治性を持ち政治的支配の変更を達成するために行われる。対してクーデターでは支配階級内部での権力移動の中で、既存の支配勢力の一部が非合法的な武力行使によって政権を奪うことであり、行為主体である軍事組織により、臨時政府の樹立と直接的な統治が意図された活動です。