
日本航空(JAL)の歴代事故65選・衝撃ランキング【2025最新版】
日本を代表するエアラインの1つである日本航空(JAL)ですが、日航機墜落事故など過去には多くの事故を起こしています。そこで今回は、日本航空(JAL)の歴代事故を衝撃順にランキング形式で紹介します。
日本航空の歴代事故 衝撃ランキングTOP65-61
日本航空の歴代事故 衝撃ランキングTOP60-56
日本航空の歴代事故 衝撃ランキングTOP55-51

55位:日本航空7便
日付:2013年1月8日
日付:2013年1月13日
2013年1月8日、ボストン発成田行きの日本航空7便ボーイング787-8型機 (JA824J) が、ローガン国際空港でタキシング中、左翼付近から燃料が漏れ出していると空港管制官から連絡を受けたため、駐機場へ引き返しました。また、同年1月13日にも成田にて当該機の燃料の抜き取り作業を行ったところ、左翼にある燃料放出ノズルより燃料が噴き出しました。ともに異物の噛み込みや付着により、ボストンでは意図しない燃料移動が発生して通気孔から漏出、成田では燃料放出弁のスイッチが誤作動し弁が開の状態のままとなったために噴出したとしています。

52位:日本航空82便
日付:2012年3月31日
2012年3月31日、上海から羽田に向かった日本航空82便ボーイング777-200型機 (JA701J) が羽田空港への着陸時、滑走路への接地後に行った着陸復行の際に機体後部を滑走路に接触させたが、当該機は着陸復行の約27分後に無事着陸に成功。機体が接地後、機首を大きく上げた状態で滑走し続けたことで、機体後部が滑走路に接触し、損傷したことが原因となっています。また、着陸時に操縦を担当していた副操縦士が、減速するためにリバーススラスト・レバー(逆推力装置レバー)を操作してエンジンを逆噴射する一方、機長はゴーアラウンド(着陸復行)を決断しており、副操縦士から操縦を引き継ぐ「テイクオーバー」の宣言がなかったことも明らかになっています。
日本航空の歴代事故 衝撃ランキングTOP50-46

50位:日本航空740便
日付:2019年2月1日
2019年2月1日、成田空港で、インド・デリー発の日本航空740便(ボーイング787―9型、乗員乗客201人)が着陸後に誘導路を外れ、脱輪するトラブルがありました。この影響で、2本ある滑走路のうちA滑走路が約7時間にわたって閉鎖され、54便が欠航。11便が着陸できずに羽田空港など別の空港に向かった。乗客らにけがはありませんでした。日本航空や成田国際空港会社などによると、機体はA滑走路に着陸後、誘導路に進入したところで左主脚が雪の積もった芝生に入って埋まり、動けなくなったそうで、誘導路は除雪されていましたが、機長からの連絡では路面が凍結していたそうです。
日付:1962年4月10日
1962年4月10日、伊丹空港に着陸しようとしていたDC-4型機(JA6003、榛名号)が接地時に脚の固定が外れ胴体着陸を慣行しました。