
国葬された日本の有名人28選・衝撃ランキング【2025最新版】
国家に功労のあった人の死に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる国葬ですが、これまでどのような人たちの国葬が行われてきたのでしょうか。今回はそんな日本の国葬を行った有名人を衝撃順にランキング形式で紹介します。
国葬とは
日本の国葬 有名人衝撃ランキングTOP28-26
28位:昭憲皇太后
27位:威仁親王
26位:英照皇太后
日本の国葬 有名人衝撃ランキングTOP25-21
25位:島津忠義
24位:毛利元徳

1896年(明治29年)12月30日に国葬
毛利 元徳 / 定広は、幕末から明治時代初期の大名毛利氏28代当主、長州藩14代(最後)の藩主、のち公爵です。元徳は慶応4年(1868年)2月に上洛し、3月には議定に就任する。明治2年(1869年)6月4日、敬親の隠居で跡を継ぎ、従三位・参議となった。就任後、まもなく版籍奉還で知藩事となった。明治4年(1871年)、元徳は廃藩置県で免官されて東京へ移り、第15国立銀行頭取、公爵となる。帝国議会開設に伴い、明治23年(1890年)2月、貴族院公爵議員に就任。明治29年(1896年)12月23日に57歳で死去。1896年(明治29年)12月30日に国葬が営まれました。
23位:熾仁親王
22位:能久親王

皇族としては初めての外地における殉職者
能久親王は、北白川宮2代、陸軍軍人で、幼名は満宮(みつのみや)です。最後の輪王寺宮(りんおうじのみや)として知られています。幕末に活躍した山階宮晃親王と久邇宮朝彦親王の弟で、仁孝天皇の猶子にもなっているため、孝明天皇の義弟、明治天皇の義理の叔父に当たる。また、弟で義父に当たる北白川宮智成親王が孝明天皇の猶子に当たるため、明治天皇の甥でもあります。明治26年(1893年)11月10日に第4師団長となる。明治28年(1895年)、日清戦争によって日本に割譲された台湾征討近衛師団長として出征しますが現地でマラリアに罹り、10月28日、台湾全土平定直前に台南にて薨去。皇族としては初めての外地における殉職者となったため、国葬時より神社奉斎の世論が沸き起こり、台北に台湾神宮(台湾神社)、終焉の地には台南神社が創建されました。
国葬(こくそう)とは、国家に功労のあった人(君主、皇族、王族、政治家、軍人、学者、芸術家、宗教家、環境保護活動家など)の死に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のことです。1926年(大正15年)10月21日に国葬令(大正15年勅令第324号)が公布され、国葬の規定は明文化された。同勅令の中で、天皇・太皇太后・皇太后・皇后の葬儀は、特に「大喪儀」といい、国葬とされた(第1条)。また、7歳以上で薨去した皇太子、皇太孫、皇太子妃、皇太孫妃及び摂政たる皇族の葬儀は全て国葬とされた(第2条)。その他、「国家に偉功ある者」に対し、天皇の特旨により国葬を賜うことができるとされた(第3条)。