
山口組の歴代組長!最強ランキングTOP6を公開【2025最新版】
日本には、いくつかの反社会勢力や暴力団、いわゆるヤクザと呼ばれる組織が存在します。その中でも最強だと言われているのが山口組です。ここでは、そんな山口組の歴代最強組長をランキングで紹介しています。
山口組の歴代組長ランキング6位 竹中武さん
生誕: 1943年(昭和18年)8月6日
出身地: 兵庫県
死没日: 2008年3月15日(64歳没)
出身校: 中学校卒業
肩書: 二代目竹中組組長
2代目竹中組組長を務め、1961年に三代目山口組の二次団体となってからはその10年後の1971年に三代目山口組若頭補佐に就任しました。元々「異端児」「最後の極道」と呼ばれていて、家族の中で三男、四男、五男、六男がヤクザという生粋の極道家で育ったそうです。
実兄・竹中正久さんは四代目山口組組長であり、兄の組長が殺害された「山一抗争」の際には、「兄貴が殺られたから言うとんの違う。山口四代目が殺られとるんじゃ。よう親の敵も討てんのやったら、ヤクザやめとけ、ボケーッ!」と激怒したことでも有名です。
孤立無援の中で部が悪くても敵対勢力に乗り込み、敗れなかった超武闘派としても知られています。しかし、兄が殺害された時に山口組から脱退。信条は一般人を絶対に泣かさないというもので、金儲けが下手ということでも親近感があったそうです。
長谷川龍次は御国野村村議会議員で、竹中家に養子に入りました。兄に、竹中正久(後の四代目山口組組長)、竹中英男、竹中正(後に姫路市の竹中組相談役)がいます。竹中家には、よく木下会・木下亀次会長が訪れていたそうです。
父は長谷川龍次。母は竹中愛子。長谷川龍次は御国野村村議会議員で、竹中家に養子に入った。兄に、竹中正久(後の四代目山口組組長)、竹中英男、竹中正(後に姫路市の竹中組相談役)がいた。竹中家には、よく木下会・木下亀次会長が訪れていた。
山口組の歴代組長ランキング5位 後藤忠政さん
暴力団・川内組若頭補佐兼静岡支部長を経て、暴力団・後藤組を結成、後に伊堂組舎弟となりました。指定暴力団・山口組の幹部構成員として、五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟などを歴任しました。その後、2008年をもって引退しています。また、日本航空(JAL)の個人筆頭株主でもあったそうです。
六代目山口組組長である司忍さんの時代には舎弟となりましたが、2008年に除名処分を受け、後藤組は解散、ヤクザを引退しました。理由は、後藤忠政さんが病気を理由に山口組本部での定例会を欠席したのですが、実際は細川たかしさんとゴルフコンペに出かけていたそうです。
その後、2011年頃よりカンボジアに移住し、プノンペンの高級マンションに居住。カンボジアでは養鶏場経営などの実業を手掛けるとともに学校建設などボランティア活動も行っており、2012年末にはカンボジア国籍を取得し、伯爵に相当する『オンニャー』の称号を授与されオンニャー忠叡を名乗る。
山口組の歴代組長ランキング4位 竹内照明さん
山口組若頭である高山清司さんの補佐役であり、一番の腹心として弘道会の会長を務めています。高山組で若頭だった中野寿城さんを弘道会若頭に昇格させたことで、高山清司さん構成員を守り、弘道会は支えられています。
本名: 後藤 忠正(ごとう ただまさ)
生誕: 1942年9月16日
出身地: 東京府東京市荏原区
国籍: カンボジア
別名: 得度名:忠叡
肩書: 後藤組組長、四代目山口組直参、五代目山口組直参、五代目山口組若頭補佐、六代目山口組舎弟