
特攻隊の生き残り有名人36選・衝撃ランキング【2025最新版】
太平洋戦争末期、捨て身の特攻作戦で多くの若者が命を落としました。しかし運よく生き残った特別攻撃隊(特攻隊)もいます。今回はそんな特攻隊で生き残った有名人を衝撃順にランキング形式で紹介します。
26位:城山三郎
特攻隊の生き残り有名人36選・衝撃ランキングTOP25-21
25位:島尾敏雄
24位:加藤富夫
23位:上山春平
22位:井上周八
21位:井出定治
特攻隊の生き残り有名人36選・衝撃ランキングTOP20-16
20位:池田龍雄
19位:石川忠雄
18位:黒木為義

戦闘機操縦者でエース・パイロット
生年月日: 1918年9月17日
出生地: 宮崎県
死亡日: 1983年10月20日
大日本帝国陸軍の軍人、戦闘機操縦者でエース・パイロット。陸海軍合同によるカルカッタ初攻撃では、帰途にイギリス空軍戦闘機1機を撃墜したが、その後奇襲されて乗機(一式戦闘機)の燃料タンクと脚に被弾した。ガソリンが噴出したので自爆を決意し一度は引き返したが、発火しなかった。着陸の際に機体は大破したが、自身は辛うじて生還することができました。その後、第33戦隊は捷一号作戦参加を命じられフィリピンへ転進したが、黒木は病気入院で残留し、留守隊で錬成に当たった。1945年(昭和20年)春、黒木は中尉に進級し、七生翔顕隊(特別攻撃隊)に所属した。しかし、突入の機会はなくメダンで終戦を迎えた。黒木の空戦生活は6年に達し、総撃墜数は16機で飛行第33戦隊を代表するエースと呼ばれました。
出生地: 熊本県 天草市
生年月日: 1913年12月11日
死亡日: 1984年4月2日
剣道7段、合気道8段ということもあるが、日本男児として真っ直ぐに一本道を歩んだ人生で政界ばかりでなく今なお敬愛を持たれている園田直氏は、神風特攻隊長として決死の出撃寸前、敗戦になった為生き残ったそうです。和20(1945)年8月13日、北海道千歳基地を飛び立つべきところ、悪天候の為17日に延期。15日に敗戦をむかえることになります。