
逆転有罪になった事件37選・日本と海外別!衝撃ランキング【2025最新版】
刑事裁判では逆転無罪が注目を集めることがありますが、逆転有罪という衝撃的な事件も存在します。そこで今回は、逆転有罪になった事件を衝撃順にランキング形式で紹介します。
24位:豊川市男児連れ去り殺人事件
23位:東電OL殺人事件

東京高等裁判所で逆転有罪
東電OL事件とは、1997年3月に当時、東京電力社員でエコノミストだった女性社員が東京都渋谷区円山町にあるアパートで殺害された事件である。 被告人となったネパール人男性は女性社員が殺害されたアパートの隣に不法滞在のネパール人4名と住んでおり、女性社員の売春相手でもありました。2000年(平成12年)4月14日、東京地方裁判所は「第三者が犯行時に現場にいた可能性も否定できず、立証不十分」として、無罪判決が言い渡された。しかし、4月18日に検察側が控訴。2000年12月22日、東京高等裁判所では、「犯行直前に被告人が事件現場にいたことと、事件直後に金を工面できたこと」などいくつかの状況証拠を理由に有罪とし、無期懲役判決を言い渡しました。容疑者は横浜刑務所に収監されましたが、のちに冤罪と認定され無罪判決を得ています。
22位:徴税トラの巻事件

大阪高裁は無罪判決を破棄して罰金2万円の有罪判決
徴税トラの巻事件とは大蔵事務官が秘密文書を漏洩した事件です。1958年(昭和33年)2月12日、大阪国税局管内堺税務署直税課所得税二係員として従事していた大蔵事務官が堺税務署長より配付を受けていた大阪国税局作成の秘密文書であり通称「トラの巻」と呼ばれた「昭和三二年分営業庶業等所得標準率表」および「昭和三二年分所得業種目別効率表」を堺市北新町付近の道路上で大阪商工団体連合会事務局長に貸与した。これについて、職務上知りえた秘密を漏洩したとして大蔵事務官は国家公務員法100条違反(守秘義務違反)で1958年4月に起訴されました。1960年4月6日に大阪地裁で無罪判決が出され、検察が控訴した後に大阪高裁は無罪判決を破棄して大阪地裁に差戻し判決を言い渡し、1967年5月11日に大阪地裁は再度無罪判決を言い渡した。検察が控訴し、1973年10月11日に大阪高裁は無罪判決を破棄して罰金2万円の有罪判決を言い渡しました。
21位:大洋デパート火災
20位:吹田三暴力事件
19位:弘前大教授夫人殺し事件

法医学の力が有罪判決に寄与したモデルケースとして知られるようになる
1951年(昭和26年)に下った一審判決では那須は殺人罪について無罪とされたが、裁判長はその理由を一切説明しなかった。仙台高裁で開かれた控訴審では那須が変態性欲者ではないとする精神鑑定の結果も出されたが、1952年(昭和27年)の控訴審判決は古畑の鑑定を始めとしてほぼ全面的に検察側の主張を容れ、那須は懲役15年の有罪判決を受けました。やがて判決が確定した那須は10年間服役し、この事件は法医学の力が有罪判決に寄与したモデルケースとして知られるようになりました。しかし、事件から20年以上が経過した1971年になって、事件当時は弘前在住で那須の知人であった男が、自らが事件の真犯人であると名乗り出たことで、本事件は冤罪となりました。
18位:日歯連闇献金事件

東京高等裁判所では禁固10ヶ月、執行猶予3年の逆転有罪判決
日歯連闇献金事件とは、日本歯科医師連盟が自由民主党所属の国会議員に闇献金した事件で、橋本派幹部からは村岡が在宅起訴されたが、橋本、青木は証拠不十分で不起訴となり、野中は関与しているが積極的でないとして起訴猶予となった。2006年3月30日、東京地方裁判所は村岡に無罪判決を言い渡した。判決では、「橋本龍太郎元首相や幹部、自民党全体に累が及ばないように虚偽の証言をした可能性がある」と断じました。2007年5月10日、東京高等裁判所では禁固10ヶ月、執行猶予3年の逆転有罪判決を下した。元会計責任者の供述内容の評価は第一審とは正反対に「自然で合理的」、「根幹部分で逮捕直後から一貫している」と、証言の信用性を認めました。
2002年7月28日午前1時20分頃、愛知県豊川市白鳥町のゲームセンター駐車場に駐車中の車内から、当時1歳10ヵ月の男児が何者かに連れ去られ、その4時間後に宝飯郡御津町の海岸から遺体で発見されました。2003年4月13日、事件発生当時に現場の駐車場に止めた車の車内で寝ていた元トラック運転手の男が豊川警察署で任意の事情聴取を受け、犯行を自白したため4月15日に殺人容疑と未成年者略取容疑で、逮捕された。しかし、それ以後は自白の強要があったとして一転して無罪を訴えます。