
天理高校出身の芸能人/有名人70選!衝撃ランキング【2025最新版】
天理教の運営する高校で、部活動が強豪であることから、全国的に学生が集まる天理高校。実は芸能人や有名人を多く輩出していることでも知られています。そこで今回は、天理高校出身の芸能人&有名人を衝撃順にランキング形式で紹介します。
天理高校出身の芸能人&有名人衝撃ランキングTOP40-36
天理高校出身の芸能人&有名人衝撃ランキングTOP35-31

35位:太田椋
出生地: 大阪府 羽曳野市
生年月日: 2001年2月14日
太田椋は、大阪府羽曳野市出身のプロ野球選手です。天理高等学校では、1年時の春から対外試合でベンチ入りを果たすと、夏の選手権奈良大会から正遊撃手に定着。2年夏には、選手権奈良大会の優勝を経て臨んだ第99回全国高等学校野球選手権大会で、チームの準決勝進出に貢献。主将として臨んだ3年夏の選手権奈良大会では決勝で姿を消したものの、大会通算5試合の出場で、打率.333、2本塁打、8打点という好成績を残しました。2018年のNPBドラフト会議では、オリックス・バファローズから1巡目で指名され入団。三遊間の深い守備位置からの送球で、打者走者から一塁でアウトを奪えるほどの強肩の持ち主でもあります。

33位:市原弘道
生年月日:1933年
出身地:奈良県
市原弘道は高校野球指導者。 1967年、習志野市立習志野高等学校野球部が千葉県勢として初めて全国制覇した時の監督です。天理高等学校を経て大学卒業後、創立まもない習志野市立習志野高等学校に英語科教諭として赴任し、野球部の監督に就任。 高校野球の指導者としては、ショートとセカンドのコンビネーションを駆使し走者の逆をつく牽制球の指導に特徴がありました。1967年、エース石井好博(のちに習志野高校野球部監督)の活躍により同校を夏の全国高等学校野球選手権大会の優勝に導くも、直後に校長の山口久太によって監督を解任され、二度と高校野球界に戻ることはありませんでした。1988年10月、55歳の若さで他界しています。

31位:佐藤清
生年月日: 1956年2月21日
出身地: 奈良県
佐藤清はアマチュア野球指導者・元選手(投手、内野手)です。天理高等学校では甲子園に3度出場。2年生時、1972年夏の選手権では同期のエース金森道正を擁し、四番打者、一塁手として準決勝に進出するが、この大会で優勝した津久見の水江正臣に抑えられ敗退。1973年春の選抜は投手として、金森との二本柱で準々決勝に進み、鳴門工の高橋周司と投げ合うが、0-2で完封負け。同年夏の選手権は青森商、中京商を連続完封するが、3回戦で植松精一らのいた静岡高に敗れています。その後、早稲田大学、日本生命を経て1995年に母校である早大の第15代監督に就任。現在は早稲田摂陵高校野球部の監督に就任しています。
天理高校出身の芸能人&有名人衝撃ランキングTOP30-26

30位:関本賢太郎
出生地: 大阪府 寝屋川市
生年月日: 1978年8月26日
関本賢太郎は、奈良県橿原市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、タレントです。天理高等学校では3年時に1番二塁手として第78回全国高等学校野球選手権大会に出場し、2回戦で中濱裕之、新沼慎二らを擁する仙台育英高校に敗れた。大会に出場した際、記念に有名な高校球児と写真を撮ろうと開会式で3人の選手に頼みこんで記念撮影をしたが、そのうち2人はこれも後にプロでチームメイトとなる前川勝彦と三東洋だった。高校通算20本塁打。1996年のドラフト会議で阪神から2位指名を受け入団。「短く持っても打球は飛ぶ」という理由で、翌2004年から現役を引退するまで、バットを短く持つ打撃フォームを貫き通しました。

29位:中村奨吾
出生地: 兵庫県 三木市
生年月日: 1992年5月28日
中村奨吾は、兵庫県三木市出身のプロ野球選手(内野手)です。天理高等学校では1年生の時に外野手としてベンチ入り。2年生の時、夏の甲子園・全国大会の1回戦で「3番・中堅手」、2回戦では「3番・左翼手」で先発出場し、計7打数5安打3打点、打率.714。3年生の時、春の選抜高校野球では1回戦で「3番・中堅手」で先発出場するも無安打に終わり、チームも敗れています。夏の甲子園・全国大会1回戦で「3番・三塁手」で出場、3打数1安打1打点でしたが、チームは山田哲人、坂本誠志郎を擁する履正社に敗退。その後早稲田大学を経て2014年にドラフト1位で千葉ロッテに入団。チームの主力として活躍しています。

27位:吉川勝成
生年月日: 1977年4月28日
出身地: 京都府宇治市
吉川勝成は、京都府宇治市出身の元プロ野球選手です。天理高等学校では第76回全国高等学校野球選手権大会に2年生でただ一人ベンチ入りしたが、出場機会はなかった。龍谷大学へ進学。関西六大学リーグでは通算13勝5敗。最優秀選手1回、最優秀投手2回受賞。4年の大学選手権では先発も初戦敗退。1999年のドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから9位指名を受け入団。サイドスローから140km/h前後の速球とスライダー・シンカー・シュートなどの変化球を投げ分け、リリーフとして活躍しました。現役引退後は2010年10月より大阪市内で焼肉店「勝」を経営しています。
天理高校出身の芸能人&有名人衝撃ランキングTOP25-21

22位:中村良二
生年月日: 1968年6月19日
出身地: 福岡県三井郡北野町(現:久留米市)
中村良二は、福岡県三井郡北野町出身の元プロ野球選手、野球指導者です。1984年に天理高校へ進学すると、硬式野球部に入部。2年生の春に出場した第57回選抜高等学校野球大会では、1本の本塁打を放ちました。3年生だった1986年には、主将を務めながら、山下和輝と共にチームの主力打者として活躍。春夏連続で阪神甲子園球場の全国大会に出場した。夏の選手権全国大会では、2本の本塁打を放つとともに、チームを奈良県勢としては初めての優勝に導きました。1986年のNPBドラフト会議で、近鉄バファローズから2位で指名を受けて入団。現在は天理高校硬式野球部の監督を務めています。

21位:古賀誠一
生年月日: 1942年
出身地:福岡県
古賀誠一はいくつかの芸能プロダクションを転々としながらマネジメントについて学び、その後1970年3月26日に「オスカープロモーション」を設立。国民的美少女として注目を集めた「ゴクミ」こと後藤久美子さんが大成功したことで「オスカープロモーション」は一躍業界における存在感を獲得し、これを機に「全日本国民的美少女コンテスト」を開催し始めました。このコンテストで佐藤藍子さんを始め、米倉涼子さん、上戸彩さん、福田沙紀さん、武井咲さん、剛力彩芽さんなど国民的美少女を多数輩出してきました。創立50周年を迎えた2020年3月26日、代表取締役社長を退任し、代表取締役会長に就任しています。
生年月日: 1983年11月14日
出身地: 奈良県
高野彬夫は、日本の元ラグビー選手で、現在JAPAN RUGBY LEAGUE ONEクボタスピアーズ船橋・東京ベイのアシスタントコーチを務めています。2001年、天理高校卒業後、明治大学に入学、2005年、明治大学ラグビー部の主将に就任。2006年、明治大学卒業後、クボタスピアーズに加入。