
フリーキックが上手いサッカー選手ランキング歴代30選・日本人と海外別【2025最新版】
美しいフリーキックを蹴るサッカー選手としてみなさんは誰を思い浮かべるでしょうか。今回はそんなサッカーの歴代フリーキックが上手い選手をランキング形式で紹介します。
6位:ミシェル・プラティニ(フランス)
出典:YouTube
ゲームメーカーとして有すべき視野の広さ、足元のテクニックに右足から繰り出す様々な種類のパスと正確なフリーキック、得点感覚を特徴としています。プラトッシュ (Platoche) と呼ばれたフリーキックに関しては1976年の代表デビューとなったチェコスロバキア戦、1981年のワールドカップスペイン大会予選最終戦オランダ戦、1985年のワールドカップメキシコ大会予選最終戦のユーゴスラビア戦、1984年の欧州選手権決勝のスペイン戦 など勝負の懸かった重要な試合で得点を決めたことから彼の代名詞となっています。
5位:シニシャ・ミハイロビッチ(セルビア)
出典:YouTube
ミハイロビッチはフリーキックが非常に上手い選手で、数多くのフリーキックゴールを生み出しています。1998年のワールドカップフランス大会ではベスト16入りに大きく貢献しました。
4位:ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)

プロフィール
出生地: アルゼンチン ラヌス
生年月日: 1960年10月30日
死亡日: 2020年11月25日
身長: 165 cm
1976年にアルゼンチン・リーグにおいて史上最年少でプロデビューを果たし、SSCナポリではセリエA優勝2回、UEFAカップ優勝1回に貢献した立役者となる。アルゼンチン代表においても1977年に歴代最年少(16歳)で出場、1979年にはU-20アルゼンチン代表としてFIFAワールドユース選手権を優勝、FIFAワールドカップには1982年大会から4大会連続で出場し、1986年大会ではチームを牽引して優勝に導き、大会MVPに選出された。同大会の準々決勝のイングランド戦で見せた「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルは、マラドーナを象徴するプレーとして後世に語り継がれています。
出典:YouTube
キックの質や弾道はそこまで驚異ではありませんが、必ず枠に入れてくるし、遠い距離でも決めてきます。ワールドカップでのフリーキック獲得数は世界最多の152回。決めたフリーキックの数は62本で歴代6位と言われています。
3位:ジーコ(ブラジル)
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ロベルト・バッジオは幼少の頃ジーコに憧れ、フリーキックの蹴り方を真似ていた[70]。またバッジオから、自身のフリーキックの精度向上のため、フリーキックを蹴る映像を送って欲しいと依頼され、ジーコは自ら多くの時間を割いて、映像を編集したビデオを送付したという逸話があります。歴史上最も優れたフリーキックのスペシャリストの一人とされている所以です。
2位:ロベルト・カルロス(ブラジル)
出典:YouTube
独特の長い助走から「悪魔の左足」と評される左足から繰り出す強烈なフリーキックを代名詞としており、時速140kmを超えるシュートは「凶器の弾丸」と呼ばれている。有名なゴールには1997年6月3日、トゥルノワ・ド・フランス(現在はコンフェデ杯がプレW杯公式大会)フランス戦でのフリーキックなどが挙げられます。ゴール前約35mの地点から、長い助走から左足で放たれたシュートは、ボールが一旦右に行った後、左方向に鋭くカーブして、ゴールポストに当たり、入った。
1位:ジュニーニョ・ペルナンブカーノ(ブラジル)
出典:YouTube
世界屈指のフリーキックの名手と謳われ、2009年にイギリス紙デイリー・メールが行った「偉大なるフリーキックの王様」という企画では、記者投票で第2位。2016年に同様の企画で、一般投票も加算した英メディア『Squawka』の発表では、ベッカムを抑え第1位に輝いている。状況によって様々な球種を使い分けることが可能だが、特に無回転のブレ球は彼の最大の武器として名高く、30m以上の距離から何度もゴールを決めている。その威力から、ロベルト・カルロスの異名「悪魔の左足」に擬えて「魔法の右足」と称されることもあります。
まとめ
ここまでサッカーの歴代フリーキックが上手い選手ランキングを紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。日本人1位は、中村俊輔、海外選手1位は、ジュニーニョ・ペルナンブカーノでした。みなさんもここで紹介した選手をチェックしてみてはいかがでしょうか。
生年月日: 1955年6月21日
出生地: フランス Jœuf
ポジション: ミッドフィールダー
身長: 177 cm
サッカーフランス代表のエースとして1984年のUEFA欧州選手権において同国に初の国際タイトルをもたらした1980年代を代表するサッカー選手の一人であり、1950年代のレイモン・コパや1990年代のジネディーヌ・ジダンと共にフランスサッカー史に名を残す選手です。優れたリーダーシップで攻撃陣を率いたことから日本では「将軍」と呼ばれていました。