
フリーキックが上手いサッカー選手ランキング歴代30選・日本人と海外別【2025最新版】
美しいフリーキックを蹴るサッカー選手としてみなさんは誰を思い浮かべるでしょうか。今回はそんなサッカーの歴代フリーキックが上手い選手をランキング形式で紹介します。
2位:木村和司
出典:YouTube
現役時代はフリーキックの名手として知られ、自由自在にボールをコントロールできるフリーキックは、いまだかつて日本人プレイヤーが見せたことのないものでした。その正確なボールコントロールと鋭い変化から「魔術師」の異名で呼ばれ、日本リーグ、国際試合で数々の名場面を作り上げた。特に1985年(昭和60年)、ワールドカップメキシコ大会最終予選のホーム韓国戦、試合には敗れワールドカップに出場できなかったものの、40メートル手前からみせたフリーキックは、80年代の日本サッカーにおける屈指の名シーンとして伝説化しており、現在でもサッカー番組でフリーキックが特集される際には、必ずといっていいほど紹介されています。
1位:中村俊輔
出典:YouTube
プレースキックの名手とされており、特に直接フリーキックを得意としています。ゴールに対して角度のあまりない位置から助走するのが特徴で、軸足を地面に滑り込ませるように踏み込み、勢いそのままに上半身を押し出しながら巻き上げるように足を振り抜く、独特のフォーム。元々は大きく弧を描くキックを得意としていたが、レッジーナ移籍以降はスピードに重点を置いたキックを多用しました。そのため、通常の選手はカーブフリーキックの球は90km/hほどですが、中村は100km/hのボールを蹴ることができました。
サッカーの歴代フリーキックが上手い海外選手ランキングTOP20-11
20位:フィリペ・コウチーニョ(ブラジル)
出典:YouTube
コウチーニョは芸術的なフリーキックを蹴ることでも知られています。ディバラ、メッシとともに、世界で最も期待できる”フリーキッカー”と呼ばれています。
19位:マリオ・バロテッリ(イタリア)
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バロテッリはフリーキックの名手としても知られています。リーガ・エスパニョーラでは3試合連続でフリーキックを決めるなど、スペイン紙でメッシと比較して取り扱われたこともあります。
18位:ファン・ロマン・リケルメ(アルゼンチン)
出典:YouTube
ややアウトにかけて落とすようなキックが得意で、ミドルとフリーキックで相手ゴールを強襲しました。特に鋭く縦に落ちるフリーキックは多くのサッカーファンを驚愕させました。
17位:アレッサンドロ・デル・ピエロ(イタリア)
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アレッサンドロ・デル・ピエロのフリーキックは、距離、角度、球種ともバリエーション豊かで、強烈なブレ球FKをはじめ、レアル・マドリードの元守護神イケル・カシージャスが一歩も動けなかったパーフェクトな一撃、左サイドの角度のない位置から相手GKの頭上越しに逆サイドネットに美しいカーブショットを叩き込んだFKなど、まさに芸術と呼べるものばかりです。
16位:ロナウジーニョ(ブラジル)

プロフィール
生年月日: 1980年3月21日
出生地: ブラジル リオグランデ・ド・スル州 ポルト・アレグレ
身長: 182 cm
ポジション:ミッドフィールダー、フォワード
バルセロナ時代には中心選手として2度のリーガ・エスパニョーラと14年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験し、2004年と2005年の2年連続でFIFA最優秀選手賞、2005年にはバロンドールを受賞。ブラジル復帰後の2013年にはアトレチコ・ミネイロでコパ・リベルタドーレスを制覇し、ヨーロッパと南米の国際大会を両方を制した史上8人目の選手となりました。またブラジル代表としては2002 FIFAワールドカップ優勝に貢献。オーバーエイジ枠で出場した北京オリンピックは銅メダルを獲得しています。
出典:YouTube
非常にクリエイティブなプレイヤーであるにもかかわらずペナルティエリアの内外で正確なフィニッシャーであり、またフリーキックやペナルティキックのスペシャリストでもあります。フリーキックでは信じられないような軌道を描くシュートで世界中を魅了しました。
15位:ロナルド・クーマン(オランダ)
出典:YouTube
強力かつ正確なキック力はロングフィードのみならず直接フリーキック、ペナルティーキックでも威力を発揮し、キックの名手の名としてロナルド・クーマンの名が知れわたることとなりました。FCバルセロナでは6シーズンのみの在籍であったが、26得点をフリーキックから記録し、メッシに抜かれるまでフリーキックからの最多得点記録保持者でした。
出生地: 広島県 広島市
生年月日: 1958年7月19日
身長: 168 cm
ポジション: MF / FW
ラモス瑠偉らと共に日本サッカー冬の時代を支えた選手の一人であり、「日産の背番号10といえば木村和司」と言わしめ、80年代半ばには日産のみならず、「日本の10番といえば木村和司」、当時の代表は「木村のチーム」とまで言わしめた程の存在でした。