
【圧死】群集事故の衝撃ランキング歴代24選・日本と海外別【2025最新版】
2022年10月29日、韓国ソウルの梨泰院でハロウィンを前に集まった人たちにおける圧死事故が世間に衝撃を与えました。そこで今回は、歴代群集事故を衝撃順にランキング形式で紹介します。
4位:ラフィンノーズ公演雑踏事故
33年前の今日ラフィンノーズ
— masaru (@exTHERIDESmasa) 2020年4月19日
日比谷野音公演雑踏事故
1987年4月19日18時30分
公演開始直後多数のファンが
ステージに駆け寄り
将棋倒し死亡者3名
バンド活動休止多大なる賠償
member一人一人
背負ってきた事
考えると辛いね…
ずっと心の中に残ってる…#日比谷野外音楽堂#忘れない#ラフィンノーズ pic.twitter.com/mPsAe8O44A
3位:京都駅跨線橋転倒事故
バンキシャでゲストの方が言ってた90年前の京都駅の事故
— 敷島_金鵄@侏儒の艦これ勢 (@551_confucius) 2022年10月30日
戦前の1934年、京都駅跨線橋転倒事故と言うのが発生
入団する兵隊の特別列車をお見送りする為に来た方々が将棋倒しになり100人以上が下敷きになり77人が死亡した群衆事故
女優・原静枝も事故に巻き込まれて亡くなったそうです pic.twitter.com/ecF02EiQfg
2位:彌彦神社事件
1956年1月1日に新潟の彌彦神社の初詣で124人が圧死するという惨事があった。この時には「自己責任」などというタワゴトは出ず、「災害救助法」を適用して被害者の救済に当たった。
— 一松 (@Akizuki_1mat) 2022年10月30日
日本社会が、このような事故で自国民が率先して「自己責任」などと叫ぶようになってしまったのか…興味深いところ…。 https://t.co/E4YBopYo1t pic.twitter.com/Z60W0phsz3
1位:明石花火大会歩道橋事故

主催者の明石市や現場で警備にあたった警察の責任が問われることに
会場の大蔵海岸と朝霧駅との間には国道2号が通っており、歩道橋以外の連絡がなかったことが大きな原因の一つでした。事故現場の歩道橋がボトルネックとなり、歩道橋上で駅から会場に向かう人の流れと会場から駅に向かう人の流れが衝突して滞留が発生した。主催者側も迂回手段についてのアナウンスを行わず、さらに当日は蒸し暑く、歩道橋が透明なプラスチックの側壁に覆われた構造のため蒸し風呂状態となり、心理的に焦りが発生したことも事故発生の要因の一つとなっています。安全を守る責任を果たせなかった主催者の明石市や現場で警備にあたった警察の責任が問われることになりました。
知らない人は一度「明石花火大会歩道橋事故」で検索かけてみるといいよぉ あれ以来日本の警察は群衆事故にめちゃくちゃ敏感になったんです……警察が頑張ってるから食い止められてる事故と言ってもいい……
— ちよ (@chiyosan1_R18) 2022年10月29日
海外の歴代群集事故の衝撃ランキングTOP14-1
14位:ソウル駅圧死事故
今回の梨泰院大規模圧死事故前の韓国歴代圧死事故と記録された事件は1960年1月26日の「ソウル駅圧死事故」だ。
— JeongWoo (@tenichi08) 2022年10月30日
当時、汽車出発の5分前になってようやく改札口が開くようになり、緊迫した乗客3926人は汽車に乗るために乗り場に向かって走った。 同日の圧死事故で31人が死亡した。 pic.twitter.com/CrTAfjA5kt
13位:エスタディオ・ナシオナルの悲劇
「世界でこれまでに起きた同種事件で死者数が2番目に多い惨事」
— にゃ修羅ちゃん©宮崎県 (@nyashura) 2022年10月2日
1番はこれか
エスタディオ・ナシオナルの悲劇
328人死亡https://t.co/zDqSz32toA https://t.co/6Oi04vPuf6
1987年(昭和62年)4月19日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で行われたロックバンドLAUGHIN' NOSEのコンサート中に観客がステージ前に殺到し将棋倒しになり、死者3名重軽傷者27人を出しました。当日の会場は主催者スタッフのみが配置され、警備員の配置は全くされていませんでした。LAUGHIN' NOSEは引責謹慎。担当していたラジオ番組も降板しました。