
芸能人/有名人の葬式参列者・多いランキング21選【2025最新版】
芸能人や有名人の葬式には多くの参列者が列をなしますが、いったい誰の葬式が最も多く参列したのか気になりませんか?そこで今回は、葬式参列者が多かった芸能人や有名人をランキング形式で紹介します。
芸能人や有名人の葬式参列者ランキングTOP5-1
5位:吉田茂
4位:坂井泉水

ポップ・ユニット、ZARDのボーカル
本名:蒲池 幸子
生誕:1967年2月6日
出身地:神奈川県平塚市
死没:2007年5月27日(40歳没)
ジャンル:J-POPロックポップ・ロック
職業:歌手。作詞家、モデル(初期)
ポップ・ユニット、ZARDのボーカル。1991年にシングル「グッバイ・マイ・ロンリネス」でデビュー。93年の「負けないで」が自身初の1位となると、続く「揺れる想い」以降も次々とミリオンセラーを記録。90年代を代表するビッグ・アーティストへ成長。2002年からの“第2章”でも「星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように」などがヒット。だが、2006年より坂井が癌による入退院を繰り返すなか、2007年5月27日に入院中の病院の階段からの転落とみられる脳挫傷により40歳で死去。以降は音源を元にした作品制作やフィルムコンサートなどを展開。衰えない人気を博しています。
3位:美空ひばり

日本歌謡界の女王
本名:加藤 和枝(かとう かずえ)
生誕:1937年5月29日
出身地:神奈川県横浜市磯子区滝頭
死没:1989年6月24日(52歳没)
ジャンル:歌謡曲・演歌・ジャズ
職業:歌手・女優・実業家
49年にデビュー後、「悲しき口笛」「東京キッド」「私は街の子」などをヒットさせ、“天才少女”と称される。その後「お祭りマンボ」「港町十三番地」「柔」など名曲を次々と発表。歌謡曲・演歌からジャズにいたるまで、天性の歌唱力と音楽センスで歌いこなし、日本歌謡界の女王として偉大な足跡を記す。80年代も「愛燦燦」や「川の流れのように」をヒットさせ、常に第一線で活躍。89年6月に永眠もなお、その歌唱とともに多くの人に愛されています。
2位:忌野清志郎

“KING OF ROCK”の異名を持つ
本名:栗原 清志(くりはら きよし)
生誕:1951年4月2日
出身地:東京都中野区
死没:2009年5月2日(58歳没)
ジャンル:ロックンロール。パンク
職業:シンガーソングライター、音楽プロデューサー、俳優
“KING OF ROCK”の異名を持つ忌野清志郎は、68年にRCサクセションを結成し、70年にシングル「宝くじは買わない」でデビュー。当初はフォーキーなスタイルだったが、次第にロック、ソウル/R&B色を強めて頭角を現す。72年「ぼくの好きな先生」をヒットさせ、80年代前半には全国的な人気に。また、ソロ活動や坂本龍一とのコラボ、タイマーズなどでも活躍。日本のカルチャーに大きな影響を及ぼす。2006年に喉頭癌を発表してからは活動休止と復帰を繰り返すも、2009年5月2日に帰らぬ人に。
1位:hide

元X JAPANのカリスマ的ミュージシャン
本名:松本 秀人(まつもと ひでと)
生誕:1964年12月13日
出身地:神奈川県横須賀市
死没:1998年5月2日(33歳没)
葬儀:1998年5月7日
会場:築地本願寺
87年、X(後のX-JAPAN)にギタリストとして加入。バンドは、88年にエクスタシーよりリリースした『ヴァニシング・ヴィジョン』が1万枚以上のセールスを記録し、翌89年、『ブルー・ブラッド』で鳴り物入りのメジャー・デビューを果たした。93年、〈hide〉名義でのソロ活動も開始。97年X-JAPANは解散。hide with Spread Beaverとzilchの2プロジェクトでの活躍が期待されていたが、98年5月2日に急死。

参列者数:約50.000人
カリスマ的な存在として人気を博していたミュージシャンのhideは、1998年5月2日、自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見され、その後死亡が確認されました。享年33歳という若さでした。5月7日に築地本願寺で行われた告別式にはTOSHI、TAIJIを含むX JAPANのメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者、ファンも参列、その数は国内史上最多の5万人と言われ、テレビ中継されるほどの注目を集めました。hideの死後、にファンの後追い自殺が未遂を含め多発、警視庁の要請でX JAPANのメンバーが記者会見を開き、自殺を思いとどまるように訴えかけるなど日本社会に大きな影響を与えました。
まとめ
ここまで芸能人や有名人の葬式参列者が多いランキングを紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。1位は、hideでした。今後hideの参列者5万人を超える葬儀はあるのでしょうか。注視していきたいと思います。
1992年(平成4年)4月25日(土)早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションから約500メートル離れた、足立区千住河原町の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを発見され救急搬送され、一時帰宅。しかしその後容体が急変し、再び救急搬送されますが、そのまま帰らぬ人となりました。後日、雨の降る中4月30日(木)東京都文京区の護国寺にて葬儀・追悼式が行われ、およそ37,700人が参列したそうです。