
歴代の俳人の有名人ランキング100選・男性女性別【2025最新版】
世界最短の定型詩のうちの一つとされる俳句を詠む俳人の中で、誰が最も有名なのでしょうか。そこで今回は、歴代の俳人の有名人をランキング形式(男性・女性別)で紹介します。

46位:吉岡禅寺洞
生年月日: 1889年7月2日
出生地:福岡県福岡市箱崎
死亡日: 1961年3月17日
1903年より三宅吟志に俳句の指導を受け、『九州日報』の伊形青楓選、『日本新聞』の河東碧梧桐選に投句。1905年、「ホトトギス」会報欄の高濱虚子撰に初入選。俳号は禅寺童、禅寺堂を経て禅寺洞と称しました。1914年、虚子の俳壇復帰に従って「ホトトギス」への投句を再開。1917年、清原枴童とともに福岡に虚子を招き太宰府に同道、このときに虚子がつくった「天の川の下に天智天皇と臣虚子と」にちなみ、翌年に清原枴童らと「天の川」を創刊、のち主宰。「天の川」では富安風生、横山白虹、芝不器男らを育てました。

41位:栗林一石路
生年月日: 1894年10月14日
出生地:長野県小県郡青木村
死亡日: 1961年5月25日
栗林一石路は、プロレタリア俳句運動の中心的存在としてだけでなく、小林一茶の評論研究家としても知られています。戦後、1946年には石橋辰之助、東京三(秋元不死男)、富澤赤黄男、湊楊一郎らと新俳句人連盟を設立、初代幹事長に就任。1948年には、『俳句芸術論』を刊行し、桑原武夫の「第二芸術論」の批判をしました。その後も俳句運動の中心的存在として活躍しました。またソ連のヤロビ農法の普及に努め、『ヤロビの谷間』を著しています。1961年5月25日午後5時、世田谷区の自宅で肺結核のため死去。66歳でした。
有名な歴代男性俳人ランキングTOP40-21

37位:大須賀乙字
生年月日: 1881年7月29日
出生地:福島県相馬郡中村町
死亡日: 1920年1月20日
東大卒で学者一族の家系という毛並みの良さと文才を評価され、早くから新傾向俳句の旗手として嘱望されました。『海紅』の河東碧梧桐に師事、同じ旧制二高出身で才能も評価された乙字に対し碧梧桐の期待は高かったが、海紅堂事件に端を発する海紅同人同士の内部対立により1915年5月に離脱。のち臼田亞浪と俳誌『石楠』を発刊、俳論家としても活動しましたが後に亞浪とも決別。1920年、インフルエンザ(スペインかぜ)と肋膜肺炎のため東京市小石川区高台老松町(現・東京都文京区目白台)の自宅にて40歳で死去しています。
生年月日: 1920年11月8日
出生地: 東京都
死亡日: 2001年12月1日
俳句は1935年、勤め先である東京堂の先輩に勧められ社内句会に参加。1936年に「句と評論」「馬酔木」などに投句。1937年渡辺白泉の「風」に参加、白泉に師事し、新興俳句無季派の俳人となります。1938年「広場」同人となり、西東三鬼にも師事。1939年「京大俳句」にも参加しますが、新興俳句弾圧事件により終刊に追い込まれました。戦後は西東三鬼主宰の「断崖」、山口誓子主宰の「天狼」同人。同人誌「面」・「俳句評論」同人。1967年、第14回現代俳句協会賞受賞。1986年「壚坶(ローム)」監修。1989年「畳の上」で第23回蛇笏賞受賞。三橋敏雄に強い影響を受け私淑のち師事した俳人に池田澄子、遠山陽子、三橋孝子、沼尻玲子などがいます。