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9位:大政奉還

徳川幕府の終焉

徳川幕府の終焉

「大政」とは天下の政 の意で、第15代将軍徳川慶喜 (よしのぶ)が1867年(慶応3)10月14日、徳川氏265年間の政権を朝廷に奉還し、翌15日、朝廷がそれを勅許した幕末期の一大政治事件を意味します。「返還した」ということは、もともと日本の政権は朝廷(天皇)にあったということを意味し、鎌倉幕府以来、武士たちが実質的に日本を治めてきましたが、徳川慶喜はその政権を目に見える形ではっきりと朝廷に返還しました。徳川慶喜は、薩摩・長州両藩を中心とした反幕府の連合軍が討幕の兵を上げる前に政権を返還することで討幕派の矛先をかわし、引き続き自らの影響力を保持することを狙ったとされています。

8位:大化の改新

「日本」という国号及び「天皇」という称号の使用が始まる

「日本」という国号及び「天皇」という称号の使用が始まる

大化の改新は、皇極天皇4年(645年)6月14日の乙巳の変に始まる一連の国政改革です。狭義には大化年間(645年 - 650年)の改革のみを指しますが、広義には大宝元年(701年)の大宝律令完成までに行われた一連の改革を含みます。改革そのものは、天皇ではなく、中臣鎌足(内臣)の主導のもと、年若い両皇子(中大兄、大海人)の協力によって推進されました。この改革によって豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へと移り変わったとされ、「日本」という国号及び「天皇」という称号の使用が始まったとされています。

7位:赤穂浪士討入り

赤穂四十七士

赤穂四十七士

赤穂浪士討入り(忠臣蔵)とは、江戸時代中期の元禄14年3月14日(1701年4月21日)、江戸城殿中松之大廊下で赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)が高家肝煎・吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発します。この一件で加害者とされた浅野は即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなりました。その結果を不服とする赤穂藩国家老・大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士(赤穂藩の旧藩士)47名、いわゆる「赤穂四十七士」は、紆余曲折のすえ元禄15年12月14日(1703年1月30日)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び、見事その首級をあげます。そしてその後の浪士たちの切腹までの一連の事件を総称して、今日の史家は「赤穂事件」と呼んでいます。

6位:黒船来航

日本に開国を要求するペリー

日本に開国を要求するペリー

黒船来航とは、1853年(嘉永6年)、アメリカ合衆国の軍人マシュー・ペリー率いる艦隊が、江戸湾の入口にあたる浦賀沖(現・横須賀市)に現れ、日本に開国を要求した事件です。日本はアメリカ側の圧力に屈して翌1854年、再来したペリーを通じて「日米和親条約」を結び、「鎖国状態」は終わりを告げた。そして日本は明治維新に向けて激動の「幕末」の時代に入ることとなります。

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5位:日露戦争

朝鮮半島と満州の権益をめぐる争い

朝鮮半島と満州の権益をめぐる争い

日露戦争は、1904年(明治37年)2月から1905年(明治38年)9月にかけて大日本帝国とロシア帝国との間で行われた戦争で、朝鮮半島と満州の権益をめぐる争いが原因となって引き起こされ、満州南部と遼東半島がおもな戦場となったほか、日本近海でも大規模な艦隊戦が繰り広げられました。最終的に両国はアメリカ合衆国の斡旋の下で調印されたポーツマス条約により講和しました。

バルチック艦隊を撃破

バルチック艦隊を撃破

1904年,日露戦争が始まり,日本は苦戦しながらも陸軍はフォンティエン(今の瀋陽シェンヤン)の開戦で勝利をおさめ,海軍は日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を打ち破っています。ポーツマス条約により、ロシアの南下はおさえられ,日本は朝鮮に対する優越権、旅順・大連など遼東半島の半島南部の租借権や東清鉄道の一部をゆずりうけるとともに,樺太(サハリン)の南半分を手に入れた。しかし,賠償金は得られず,この講和条約に不満の国民は,日比谷焼打ち事件などをおこしました。

4位:本能寺の変

織田信長の最期

織田信長の最期

本能寺の変(ほんのうじのへん)は、天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、京都本能寺に滞在中の織田信長を家臣・明智光秀が突如謀反を起こして襲撃した事件で、信長は寝込みを襲われ、包囲されたのを悟ると、寺に火を放ち自害して果てました。信長の嫡男で織田家当主信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に移って抗戦しましたが、まもなく火を放って自刃します。これにより信長、信忠を失った織田政権は瓦解、6月13日の山崎の戦いで光秀を破った羽柴秀吉が豊臣政権を構築していく契機となりました。

織田家の分裂

織田家の分裂

明智光秀がなぜ織田信長を討ったのか?これには怨恨説や野望説などさまざまな説があります。また、黒幕についても朝廷黒幕説や、足利黒幕説、秀吉黒幕説、家康黒幕説などがあります。いずれにせよ、当時最も勢いのあった織田家が分裂するきっかけとなったことは間違いありません。

3位:明治維新

約700年続いた武士の世の終焉

約700年続いた武士の世の終焉

明治維新とは、幕藩制を廃し、中央集権統一国家と資本主義化との出発点を築いた政治的・社会的変革の総称です。1603(慶長8)年に徳川家康が征夷大将軍に任命されて以降、250年以上もの間、強大な権力を握っていた江戸幕府。しかし、1853(嘉永6)年にアメリカのペリー提督率いる黒船が現れ、日本に開国を迫るとほころびを見せはじめました。翌年、幕府がアメリカと日米和親条約を結んだことで、200年間続けられた鎖国が終わります。これは同時に江戸時代、ひいては12世紀から約700年続いた武士の世の終焉を意味しました。

明治維新による改革

明治維新による改革

1868年、天皇は京都から江戸に移りました。江戸は東京と改称され、翌1869年には首都に定められました。これを「東京遷都」といいます。また、古代にならって太政官制を採用、版(土地)と籍(人民)を天皇に返し(版籍奉還)、藩を廃止して新たに府県を設置し、新政府(中央政府)から知事を派遣する「廃藩置県」を行い、中央集権国家を目指しました。

2位:関ヶ原の戦い

徳川家康VS石田三成

徳川家康VS石田三成

関ヶ原の戦いとは、1600年(慶長5)9月、徳川家康の率いる東軍と、石田三成(みつなり)を中心とする西軍によって、美濃(みの)国関ヶ原(岐阜県不破(ふわ)郡関ヶ原町)で行われた「天下分け目」の戦いです。

関ケ原の戦いのきっかけ

関ケ原の戦いのきっかけ

1598年(慶長3)豊臣(とよとみ)秀吉が死ぬと、豊臣政権はたちまち内部分裂の兆しをみせ始めた。秀吉は生前から、家康の実力が諸大名のそれをはるかに超えているのを憂えて、前田利家(としいえ)を重用して家康に対抗させようとしたり、五大老・五奉行(ぶぎょう)の制度を設けて、自分の死後における家康の独走を阻もうと考えていた。しかし利家も秀吉の後を追うようにその翌年に死んだので、天下の声望はいよいよ家康に集まり、その独走体制はさらに強まり、専横ぶりもまたひどくなってきた。五奉行の一人であり、かねて家康に強い反感を抱いていた石田三成は、打倒家康を図ってひそかに策を練り、ついには挙兵することになります。

徳川政権の誕生

徳川政権の誕生

かねて内応を約しながらも、去就を明らかにせず形勢を観望していた小早川秀秋が、家康からの厳しい催促にようやく寝返りを決し、にわかに大谷隊の側背に攻撃をしかけたのを境に、西軍はみるみる総崩れとなり、午後4時ごろ東軍の地すべり的大勝が決定した。三成は伊吹山(いぶきやま)に逃れたが潜伏中を捕らえられ、後日、小西行長、安国寺恵瓊らとともに京都で斬(き)られたほか、西軍の主将として大坂城にあった毛利輝元は安芸(あき)(広島県)など9か国112万石から周防(すおう)、長門(ながと)(山口県)2か国36万石に大減封されるなど、西軍に加わった諸大名は取潰(とりつぶ)し、減封などいずれも厳しい処分を受けた。それに伴い豊臣秀頼(ひでより)も摂津、河内(かわち)、和泉(いずみ)(兵庫県、大阪府)で65万石の一大名に成り下がり、徳川氏の覇権が事実上確立します。

1位:太平洋戦争

第二次世界大戦の局面の一つ

第二次世界大戦の局面の一つ

太平洋戦争は第二次世界大戦の局面の一つで、大日本帝国を中心とする枢軸国と、連合国(イギリス帝国、アメリカ合衆国、オランダ、中華民国など)との太平洋を中心とした地域における戦争です。日本軍の英領マレー半島に対する上陸作戦(マレー作戦)及び米国領ハワイ諸島への真珠湾攻撃で開戦。その後、北アメリカ大陸西海岸(米領アラスカや米本土西海岸)、オセアニアを含む太平洋、東南アジア、アフリカ東岸を含むインド洋に戦場が拡大。蒋介石率いる中華民国政府も日本へ正式に宣戦布告したほか(日中戦争)、末期のソ連対日参戦によりアジア大陸東部でも激しい戦いが繰り広げられました。

日本の歴史において「戦後」への画期

日本の歴史において「戦後」への画期

大日本帝国は緒戦は快進撃を見せたもののミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いで守勢に転じ、各地の戦場や日本本土空襲などで多数の犠牲を出して敗れた。連合国に降伏して占領を強いられ、現在まで続く日本国政府への政体変更や、経済・社会制度、文化の大幅な変革がもたらされ、日本の歴史において「戦後」への画期となりました。

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