
解散したお笑い芸人グループ100選・衝撃順にランキング【2025最新版】
近年、第七世代という言葉が流行するほどお笑いブームが再来していますが、その陰で、解散していくお笑い芸人も多くいます。今回は、解散したお笑い芸人グループ100選を衝撃順にランキング形式で紹介します。

28位:フォークダンスDE成子坂
結成年 1989年
解散年 1999年
事務所 ホリプロ
フォークダンスDE成子坂は、桶田敬太郎と村田渚で構成されていたお笑いコンビです。何かするようで何もしない、わざとハズしにかかるシュールな芸風と桶田の特異な発言、村田の鋭いツッコミが特徴でした。1999年12月、解散を発表、桶田は本格的にミュージシャンへ転向しロックバンド「The 3cm~」として活動。村田はピンでの活動を経て、2005年に元坂道コロンブスの松丘慎吾とコンビ「鼻エンジン」を結成。めでたく再スタートを切ったかにみえた矢先、2006年11月12日、村田渚が、クモ膜下出血のため死去、2019年11月23日、桶田敬太郎が、癌のため死去という衝撃的な結末となってしまいました。
お笑い芸人の解散・衝撃ランキングTOP20-1

17位:太平サブロー・シロー
太平サブロー・シロー は、松竹芸能の養成所出身、漫才トリオ・レツゴー三匹に師事し、1976年に「太平サブロー・シロー」のコンビ名で松竹芸能所属の漫才コンビとして新世界新花月からデビュー、1980年代の漫才ブームの波に乗り、人気漫才コンビとしての地位を確立しました。1988年に吉本から独立して東京に芸能事務所を設立するが[2]、1992年、お互いの仕事観等の意見対立から喧嘩別れする形でコンビを解消した。その後、サブローのみ1993年に吉本に復帰し、のちにシローも吉本復帰を果たしますが、確執からコンビが組めず、そのまま2012年2月9日にシローが永眠し、サブロー・シローの再結成は不可能となりました。
オフィス北野に所属し活動した日本の双子漫才コンビで、『お笑いスター誕生』では9週勝ち抜きの実績がある。特注のユニフォームを身に付け、野球をはじめスポーツに関する漫才で人気を博しました。後に弟・正二は芸能界を引退し、兄・正一はオフィス北野に残りピン芸人としてホームページに掲載されていたが実際は活動実績がない状態が続き、2019年2月末にプロフィールも削除されました。