
日本赤軍メンバーの現在!衝撃ランキングTOP26【2025最新版】
日本赤軍は1971年に共産主義者同盟赤軍派の重信房子と奥平剛士らが結成、2001年まで存在した日本の新左翼系の国際極左テロ組織です。今回は日本赤軍メンバーの現在を衝撃順にランキング形式で紹介します。
日本赤軍メンバーの現在衝撃ランキングTOP5-1

重信房子は、元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部で、ハーグ事件の共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受け、現在、東日本成人矯正医療センターにて服役中です。
重信が「最高指導者」となった日本赤軍は、レバノンのベカー高原を主な根拠地に「革命運動」を自称し1970年代から1980年代にかけて、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、一連のハイジャックや空港内での乱射事件などの無差別殺人を起こしました。
さらに外国公館の政府要人やハイジャックした飛行機の乗客を人質に取って、身代金や仲間の奪還を目論む事件を起こしたり、外国公館に攻撃をするなど、多数の民間人をも巻き込んだテロ事件を繰り返し世界各国から非難を受けた人物です。
日本赤軍が起こした代表的事件① テルアビブ空港乱射事件(1972年5月30日)
イスラエルのテルアビブ・ロッド国際空港(現ベン・グリオン国際空港)において、岡本公三、奥平剛士、安田安之の3人が、自動小銃を乱射するなどして、居合わせた一般旅行者ら100人を殺傷(うち死者24人)。奥平と安田は、事件現場で死亡。岡本は、イスラエル当局に逮捕され、終身刑とされたところ、1985年、捕虜交換によって解放。岡本は、レバノンに亡命中。
日本赤軍が起こした代表的事件② 日航ジャンボ機乗っ取り事件・ドバイ事件(1973年7月20日)
「被占領地の息子たち」を名のるパレスチナ・ゲリラと日本赤軍メンバー・丸岡修の混成部隊5人が,オランダ・アムステルダム発東京行きの日航機を乗っ取り、アラブ首長国連邦(UAE)・ドバイ空港に強制着陸。身代金と共産同赤軍派活動家2人の釈放を要求する旨の脅迫状を日本航空が受け取ったが、犯人グループと日本政府との交渉は成立せず。犯人グループは、乗員・乗客と共に同空港から、シリア・ダマスカス空港を経由して、同月24日、リビア・ベニナ空港に到着。犯人グループは、乗員・乗客を解放した後、同機を爆破して、リビア当局に投降。犯行時、犯人グループが所持していた手りゅう弾の誤爆により、犯人が1人死亡。
日本赤軍が起こした代表的事件③ シンガポール製油所襲撃事件(1974年1月31日)
日本赤軍を名のる2人を含む4人のゲリラが、シンガポールの製油所を爆破した後、同製油所のフェリーボートを乗っ取り、乗員を人質として、シンガポール政府に対して、国外脱出用の飛行機の手配を要求。その後、こう着状態が続いていたところ、2月6日、パレスチナ・ゲリラ5人が、在クウェート日本大使館を占拠し、大使ら16人を人質に取り、日本政府に対して、シンガポールのゲリラ4人を飛行機でクウェートへ送るよう要求。日本政府は、要求を聞き入れ、特別機を派遣して、シンガポールのゲリラ4人をクウェートに輸送。クウェートで合流した犯人グループは、同機を南イエメン(イエメン人民民主共和国,当時)に向かわせ、到着後、南イエメン当局に投降。
日本赤軍が起こした代表的事件④ ハーグ・フランス大使館占拠事件
日本赤軍メンバー・和光晴生ら3人が、オランダ・ハーグのフランス大使館を占拠して、人質のフランス大使らとフランスで逮捕されていた日本赤軍メンバーの交換などを実現。メンバーらは、人質全員解放後、フランス航空機でシリアに渡り、同国当局に投降。
生年: 1948年6月12日
生地: 宮城県仙台市
思想: 新左翼
主な事件: シンガポールシェル石油精油所爆破事件/ハーグ事件/クアラルンプール事件
所属: 日本赤軍
パレスチナ解放人民戦線
投獄: 徳島刑務所
裁判: 無期懲役(上告棄却)
和光晴生は日本赤軍元メンバーで、医学部が米軍から研究資金を受けていたことが報道されたことを契機に起きた学内の抗議運動がきっかけで学生運動に参加、マルクス主義戦線派に近いノンセクトグループで活動しました。