
ノーヒットノーラン達成者の回数ランキングTOP50【日本・メジャー別・2025最新版】
ヒットやホームランを1本も許さず完封勝利を成し遂げるノーヒットノーラン。今回は日本プロ野球と海外メジャーリーグに分けてノーヒットノーラン達成者の回数をランキングで紹介していきます。
2位:サンディー・コーファックス
1位:ノーラン・ライアン

ノーヒットノーラン7回
国籍 アメリカ合衆国
出身地 テキサス州レフュージオ
生年月日 1947年1月31日
身長/体重 188 cm/88.5 kg
プロ入り 1965年 12巡目
経歴:
ニューヨーク・メッツ (1966 - 1971)
カリフォルニア・エンゼルス (1972 - 1979)
ヒューストン・アストロズ (1980 - 1988)
テキサス・レンジャーズ (1989 - 1993)
概要:
ノーラン・ライアンは、スリークォーターから最速162.4km/hのフォーシームに、縦に大きく割れる一級品のカーブ、サークルチェンジを持ち球に、数多の強打者たちから三振の山を築きました。シーズン最多奪三振記録・通算最多奪三振記録保持者で、メジャー通算324勝を誇る伝説の投手です。ノーヒットノーランは合計7回達成しており、これはメジャー記録として未だ破られていません。また8回まで無安打だったのに9回で安打を許してしまったことが5試合ありました。
まとめ
ここまでノーヒットノーラン達成者の回数ランキングTOP50を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。日本のプロ野球でも沢村栄治の3回が最多、メジャーリーグではノーラン・ライアンがなんと7回ものノーヒットノーランを達成しています。両投手とも世界的に有名な理由を再確認できたかと思います。
国籍 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国
ニューヨーク州ブルックリン
生年月日 1859年8月10日
没年月日 1891年10月14日(32歳没)
身長/体重 160 cm/57.6 kg
経歴:
シカゴ・ホワイトストッキングス(1880-1885年)
ニューヨーク・ジャイアンツ(1885年)
ワシントン・ナショナルズ(1886年)
インディアナポリス・フージャーズ(1887年)
概要:
ラリー・コーコランは、1880年、20歳の時に当時キャップ・アンソンが監督をしていたシカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)に入団、フレッド・ゴールドスミスと共にシカゴの二枚看板となりました。1年目から63試合に登板し、43勝14敗、防御率1.95、リーグ最多の268奪三振の活躍を見せ、現役通算、3度のノーヒットノーランを記録しています。