
昭和アイドルの人気ランキング40選~男性女性別【決定版】
さまざまな伝説が語り継がれる1970年代・1980年代・1990年代のアイドル。まさにアイドル黄金期で、CDやレコードも飛ぶように売れた時代でした。ここでは、昭和アイドルの人気ランキングを男性女性別に紹介しています。
1982年5月、「NAI・NAI 16」で歌手デビュー。デビュー当時のキャッチフレーズは「YMF 正面突破」でした。同期の女性アイドルには小泉今日子・三田寛子・堀ちえみ・中森明菜・松本伊代・早見優・後に薬丸の妻となる石川秀美ら「花の82年組」が大人気のアイドル全盛期でした。
1968年9月5日レコードデビュー、1978年8月31日解散しました。解散から24年を経た2002年に再結成を果たしました。初期のジャニーズ事務所を代表するグループでもあります。1970年にはブロマイドの売上げが男性歌手部門の1位になり、トップアイドルとなりました。
1971年5月1日、当初は演歌歌手としてシングル曲「博多みれん」でデビューしました。1973年4月9日、「オレンジの雨」がオリコン週間チャートで初のベストテン入り。続く「君が美しすぎて」は第3位にランクしました。西城秀樹・郷ひろみと共に新御三家と呼ばれて、一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。
1980年、郁弥と武内によりグループ結成しました。1981年、ヤマハ・ライトミュージックコンテストジュニア部門で最優秀賞を受賞しました。1984年、「涙のリクエスト」がヒット。チェッカーズは社会現象化し、ファッションなどにも大きな影響を与えました。
男性昭和アイドルの人気ランキング 5位~1位
1971年、銀座であった映画オーディションでジャニー喜多川にスカウトされてジャニーズ事務所へ所属しました。1972年1月2日、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛の弟、経盛役で俳優デビュー。1973年、ブロマイド年間売上実績No.1となり、西城秀樹、野口五郎と共に新御三家と呼ばれ、一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。
シングル「恋する季節」で歌手デビュー。キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。片仮名の「ヒデキ」が愛称となりました。1972年11月25日に発売された「チャンスは一度」で、一躍トップアイドルの仲間入りを果たし、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれるようになりました。
1995年に解散した、内海光司、大沢樹生、諸星和己、佐藤寛之、山本淳一、赤坂晃、佐藤敦啓からなる7人編成のアイドルです。既存グループだった5人組の「GENJI」と、内海光司、大沢樹生の2人による「光」の2つのグループが合体して、「光GENJI」が結成されました。
TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』の生徒「星野清」役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍しました。、1980年12月に「スニーカーぶる〜す」でソロ歌手としてデビュー。1980年代を代表する男性アイドルとして、『ザ・ベストテン』や『ザ・トップテン』などの歌番組を中心に活躍しました。
1980年6月、たのきんトリオの先陣を切り、レイフ・ギャレットの『New York City Nights』をカバーした『哀愁でいと』で歌手デビューを果たしました。近藤真彦と共に1980年代のトップアイドルとして活躍しました。第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞、第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞などを受賞しました。
女性昭和アイドルの人気ランキング 20位~16位
たまたま来店していた音楽関係者がその中の一枚、菊池が微笑んでいる写真に目を留め、スカウトされ芸能界デビューを果たしました。2014年にデビューから30周年を迎え、4月30日にセルフカバー・ベストアルバム『青春ラブレター 〜30th Celebration Best〜』を発売するなど、現在も活躍さえています。
1984年、母が応募した第1回東宝シンデレラオーディションにおいて、最終選考まで残ったことで芸能界入りを果たしました。1985年2月、『時代だって、由貴に染まる。』というキャッチフレーズのもと、キャニオンレコードより『卒業』で歌手デビューし、オリコンで最高6位を記録し、約35万枚のヒットを果たしました。
活動停止: 1988年
事務所: ジャニーズ事務所
活動期間: 1982年 - 1988年11月2日
アルバム: べらんめぇ! 伊達男、 100%…SOかもね!、 ZOKKON 命