
尾崎豊の人気曲ランキングTOP40【2025最新版・動画付き】
いまだに老若男女問ず人気がある尾崎豊さんのヒット曲・代表曲をランキング形式でまとめてみました。尾崎豊さんの人気曲ランキングTOP40をYouTube動画付きでご紹介していきます。
1994年の14枚目シングルで発売されています。この曲は尾崎豊さんが亡くなってからリリースされ、尾崎豊さんのシングル最大のヒットだったといわれています。
『I LOVE YOU』はどこかわけありげで、そしてそれゆえにたまらないような切なさや美しさを湛えたラブバラードなわけですけど、『OH MY LITTLE GIRL』はひたすら無邪気で甘い、若い人間の愛をストレートに歌った曲です。
こういうある種の未熟さみたいなものもそのままさらけ出して歌えてしまうことに、ひねくれた人は僻みや嫉妬を覚えたりしてしまうのかもしれないなーなんてことはちらっと思います。
尾崎豊の人気曲ランキング1位!
第1位 尾崎豊:I LOVE YOU
1991年に発売された11枚目シングルとして発売されたラブソングです。この曲はいまでもCMなどでながれていますね。尾崎豊さんを知らなくても、この曲は誰しも知っているのではないでしょうか。
一部では純愛ではなく、不倫相手に送った曲だともいわれています。
I love you 今だけは悲しい歌聞きたくないよ
I love you 逃れ逃れ 辿り着いたこの部屋
何もかも許された恋じゃないから
二人はまるで 捨て猫みたい
この部屋は落葉に埋もれた空き箱みたい
だからおまえは小猫の様な泣き声で
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に
I love you 若すぎる二人の愛には触れられぬ秘密がある
I love you 今の暮しの中では 辿り着けない
ひとつに重なり生きてゆく恋を
夢みて傷つくだけの二人だよ
何度も愛してるって聞くおまえは
この愛なしでは生きてさえゆけないと
きしむベッドの上で 優しさを持ちより
きつく躰 抱きしめあえば
それからまた二人は目を閉じるよ
悲しい歌に愛がしらけてしまわぬ様に
尾崎豊のプロフィールと生涯を振り返る
尾崎豊さんのデビューまで
高校三年生のころ、CBSソニーが主催した『CBS SONY Sound Development Audition 1982』でオーディションを受け、見事に合格。
そして、1983年12月1日、デビューアルバム『十七歳の地図』でデビューします。同日、シングルの『十五の夜』も同時リリースされています。『十七歳の地図』ではオリコン最大2位を記録します。
しかし、発売当初は積極的なプロモーションを行われなかった為、売れ行きな伸び悩みます。
尾崎豊デビューからヒットまで
尾崎豊さんの活動停止期間
20歳になった尾崎豊さんは、方向性を見失い、一時渡米します。しかし、特になにもなく帰国します。その後、作曲活動や制作活動もうまくいかず、覚せい剤取締法違反で逮捕されることとなります。
尾崎豊さんの復活
一般人の女性と結婚した尾崎豊さんは長男を授かり、方向性を再認識します。そこでリリースしたのがアルバム『誕生』。オリコンでは1位を飾り、さらに翌年には大規模全国ツアーを行い復活を遂げます。
しかし、個人事務所を設立したが、スケジュール管理やマネージメント業務を自分で行い、疲労しきった尾崎豊さんは自殺未遂をします。
また、尾崎豊さんの母親の死が重なりますます精神的に追い込まれていきます。
1992年尾崎豊さん享年26歳で急死
そんななか、1992年4月25日、自宅近くで全身傷だらけで倒れているところを発見され、いったんは意識が戻るものの、午後12時過ぎ死亡します。死因は覚醒剤中毒 (メタンフェタミン中毒) による肺水腫とされています。
尾崎豊さんの死により、全国で後追い自殺をするファンの方が続出します。
その後のオリコンチャートにて尾崎豊さんのアルバム6作がTOP10にランクインします。
また、予定されていたライブツアーはもちろん中止となりましたが、チケットはほとんど買い戻されず、ファンのもとに残ったそうです。
尾崎豊さんの死後
尾崎豊さんの死後様々番組で尾崎豊さんの特集番組が放送されました。また有名歌手によるカバー、お父様による尾崎豊さんのに関する本など多数出版され、死後20年以上たつ現在も語り継がれる伝説のシンガーソングライターとして老若男女さまざまなひとの心に残っています。
まとめ
尾崎豊さんの人気曲ランキングTOP40をご紹介しました。
是非この記事を参考に尾崎豊さんの曲を聴いてみてください。
男性歌手の人気曲に関連する記事はこちら
出典:桑田佳祐の人気曲ランキングTOP30【動画付き】 | RANK1[ランク1]|ランキングまとめサイト
1965年11月29日に東京都世田谷区に生まれます。本人が10歳だったころに埼玉県朝霞市に転入。転入後はあまり学校に通わなかったそうです。
高校は、もともと頭の良かった尾崎豊さんは青山学院高等部に進学します。しかし、喫煙や飲酒、喧嘩等で停学があり、出席日数が足りず留年。のちに自主退学します。