
在日韓国・朝鮮人の芸能人ランキングTOP70【2025最新版】
実は日本の芸能人や有名人の中には在日韓国人・朝鮮人の人が多いのはご存知でしょうか?今回は、日本で活躍している在日韓国人・朝鮮人の芸能人や有名人を衝撃順にランキング形式で紹介します。
※独自の調査の結果を元にランキング付けをしています

第23位:南果歩(みなみかほ)
生年月日:1964年1月20日
出身:日本兵庫県
短大在学中の1984年に映画『伽倻子のために』のヒロイン役オーディションに応募、2000人の中から選ばれ、主役で芸能界デビューした女優。夫は俳優の渡辺謙。
2007年1月11日放送のNHK総合のトーク番組『スタジオパークからこんにちは』内で母親が韓国人であることを告白した。
2012年12月24日放送のNHK総合のドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』では一族が取り上げられた。
母方の祖父は韓国慶尚北道出身で両班の家系、さらにさかのぼると唐の役人であったと称している。
2015年11月より出身地である兵庫県尼崎市の「尼崎市PR大使」を務める。

第21位:安田成美(やすだなるみ)
生年月日:1966年11月28日
出身:日本東京都
身長:168cm
日本の女優、夫はとんねるずの木梨憲武。
官報に同一の生年月日が記載されており、おそらく韓国名は鄭成美(チョン・ソルミ)、帰化したとみられる。
中学在学中にスカウトされ、1981年に花王ビオレのCMでデビュー。翌年にドラマ『ホーム・スイート・ホーム』でドラマ初出演。
1983年、『風の谷のナウシカ』のアニメ映画化にあたって募集されたイメージガールのオーディションで約7500人の中からグランプリを獲得。
1984年、同映画のイメージソングに採用されたシングル曲「風の谷のナウシカ」(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣)で歌手デビュー。
在日韓国・朝鮮人の芸能人ランキング第20位〜第11位

第20位:井川遥(いがわはるか)
生年月日:1976年6月29日
出身:日本東京都
1999年、『東洋紡水着サマーキャンペーンガール』として本格的に芸能界デビュー。翌年には 『アサヒビールイメージガール』に選出され、グラビアアイドルとして雑誌などにも多く登場するようになり、飯島直子に始まった、いわゆる「癒し系アイドル」ブームの後継者としても人気を得た。
その後は雑誌モデルのほか女優として多くのテレビドラマ、映画、舞台などに出演している。
2010年頃から主婦向け雑誌「VERY」(光文社)で毎月カバーキャラクターを務めている。
官報に生年月日が一致した記録があり、読者モデル時代は韓国名である趙秀恵(チョ・スヘ)で活動していたとみられる。

第16位:小池栄子(こいけえいこ)
本名:坂田栄子
生年月日:1980年11月20日
身長:167cm
出身:日本東京都
日本の女優、夫はプロレスラーの坂田亘。
パチンコ店を経営してた祖父が韓国系であるとされる。
最初は保育士志望だったが、イエローキャブ社長の野田義治にスカウトされ、芸能界入り。
当初は女優を目指して芸能界入りした。しかし最初のドラマ出演後のオーディションで「そんなに太っていたら映像では使えない」と言われ、なかなか次の仕事が決まらなかった。
そこへ「写真なら角度などで誤魔化せるから」とグラビアの仕事が舞い込む。
「胸が大きいのはコンプレックスだけど、これを売りにすれば良いのでは」と考えを改め、それ以降は積極的にグラビアに取り組むようになる。

第12位:都はるみ(みやこはるみ)
本名:北村春美
生年月日:1948年2月22日
女性演歌歌手、「はるみ節」と呼ばれる独特の力強い歌唱法を持ち、昭和後期を代表する国民的演歌歌手として数多くのヒット曲を世に送った。
父は在日韓国人で、このことは1969年に週刊平凡において、はるみの母がインタビューに答える形で公表。
1964年、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得する。
1984年3月、人気・実力ともに絶頂だった36歳において「普通のおばさんになりたい」と突然の歌手引退を宣言。この年の『第35回NHK紅白歌合戦』出場を最後に一旦引退。
在日韓国・朝鮮人の芸能人ランキング第10位〜第1位

第9位:みやぞん
生年月日:1985年4月25日
出身:東京都足立区
身長:172cm
日本の男性お笑いコンビ、ANZEN漫才のボケ担当。
飛び抜けた運動神経と即興で曲を作ったり一度聴いた曲をすぐに演奏したり、常人離れした才能が注目を浴び一躍時の人となった。
子供の頃は野球を、中学生の頃はテニスをしていた。なお、小学校卒業当時の将来の夢はバレーボール選手だった。
ギターやピアノは、コードや音楽理論を知らないまま弾き始め、当時から耳コピーのみで楽曲を再現できた。ギターは専ら独学で、勘のみで弾いている。
2005年7月19日に帰化したと官報にデータがあり(旧名:金大耕)、テレビで「自分だけ免許申請に外国人登録証が必要だと言われた」と打ち明けた。
本名:辛 格浩(シン・キョクホ)
生年月日:1922年10月4日
日本統治時代の朝鮮慶尚南道蔚山郡(現・蔚山広域市)出身の在日韓国人一世。
ロッテグループ会長、日本プロ野球のチーム千葉ロッテマリーンズと大韓民国プロ野球のチームロッテ・ジャイアンツのオーナーを務める。
1942年 、関釜連絡船に乗って日本本土へ転居。
1948年 、6月株式会社ロッテ設立、代表取締役社長に就任。